「良き企業市民たれ=Be a good corporate citizen」
これはアメリカを代表する世界的な企業でもあるIBM(International Business Machines)の事実上の創立者といわれるトーマスJワトソンSr.の言葉である。彼は、私が4歳くらいの時に亡くなった古典的で典型的なアメリカン・ドリームのビジネスマンであり、会社もIT企業でもあり、アメリカ企業のある種のモデルでもあると思ってきた。同時に企業の社会的責任を確立してきた会社でもあるとシンパシーを持っている。
それは「企業」が、ビジネスだけでなく、私たちが帰属するコミュニティーの支援を重要視するという意味で、ドラッカーにも通じる「企業」モデルであり、私自身も「企業市民」という言葉を、地域のいろいろなところで口にしている。
弊社がパートナー関係で付き合ってきた日立も、茨城県日立市に創業して、まるで「日立藩」のような城下町企業から電機メーカーからインフラ系でも世界企業へ進出したというところで、IBMに似ている気がして、また、IBMもHitachiも看板だったパソコン製造からあっさり手を引いたところも似ているのかもしれない。企業も古来日本の戦国時代からの「地の利、人の輪、時の運」に味方され、だから、地域貢献のやり方もグローバル化しても「企業市民」という発想が共通するところもあるのだろうか。それぞれの企業が、それぞれに企業理念を抱え、その沿革に表されて栄枯盛衰を続けているのだろう。
IBMの名前は、だいぶ昔にIBM社長秘書をしていたベンチャー企業の社長から聞いた。彼はIBM社長のかばん持ちとして世界を回り、その時の人脈を活用して独立。世界中の開発中ソフトの中で使えそうなものを商品化して、現在はそうした商材販売ではかなり成功している。彼の起業は既存の商品を世界から発掘し、焼き直し、ブラッシュアップで販売するというところでは、製造メーカーというより、どちらかというと「ジャパネットたかた」のような販売サービス企業と言えなくもない。これからの「ものづくり」の難しい時代を先取りして、むしろ「情報」と「サービス」で生き抜く企業の見本のような感じだ。
今やIBMも「Thinkpad]という代表的なパソコンをレノボに売却して、どちらかというと機械メーカーでなくサービス業に転じているようで「ものづくり」より「サービスづくり」の先端でもある。日立もFLORAに代表されるパソコン製造を中止して、現在はパソコンメーカーからは撤退している。弊社もパソコンディーラーから、現在のサポート&サービス企業へとそれに伴って変わってきた。
さて、「企業」、「企業市民」と考えても企業にはランクがあるとされる。私も数年前まで活動していた団体に「中小企業家経済同友会」があるが、ここでは「経営指針」という言い方で、3つの経営の指針を出し、特に埼玉県では「社長の学校」とネーミングして熱心に学習会を作っている。そこでは「よき経営者たれ」「よき会社にしよう」「よき経営社会環境をつくろう」と呼びかけ、「経営理念づくり」「経営方針」「事業計画」の作り方を普及させている。
エビデンスに基づかれた実証的科学的近代経営、人間性尊重の社員教育や労使関係などで、中小企業を社会に必要とされるものにして「社会をよりよくしていこう」という運動体でもある。敬愛する日本経済の創始者澁澤栄一翁の「右手に算盤、左手に論語」を標榜する、まさに中小企業の「社長の学校」であるといえるだろう。
昔、中小企業は「どんぶり勘定」「思いつき経営」といった個人的なやり方、道徳観で、いい加減な経営や売れればいいとまがい物の商品化、偽装や脱税などで問題になると「やはり中小企業だから」と揶揄され、福利厚生面でも従業員募集にも大手と比べて苦労させられてきた。
やはり「大きいものはいいことだ」という価値観に支配され、戦後の復興期から高度経済成長時代には、大企業が目標であり、事実、ホンダやスズキのように中小企業から今では世界的なメーカーになったものも多い。
今では憧れ大企業も当時は中小企業で、あの企業のように成長し、大きくなりたいと多くの中小企業家も夢を見てきた。日本の企業の9割、従業員の7割は中小企業であり、そこが日本を支えてきたが、それでも会の中でも資本金や売り上げの大きな企業がもてはやされ、会員の潜在意識の中には零細から小、中と大きな企業への序列が、言い換えれば直線的成長神話が、精神的には理想とされてきたのだろう。
弊社のような零細企業から見れば、確かにある面ではIBMや日立は大企業で憧れであるかもしれない。寄らば大樹の陰で、大企業との取引に影響され、下請け孫請けもやむを得ない経営もある。
しかし、地域の生活を見てきて、商店会や小さな個店が衰退、大きなスーパーに独占、コンビニに寡占化される地域社会、コミュニティの持続が難しい場面にも遭遇するようになってきた。むしろ、大手と地元零細中小企業が共存関係、協働関係を維持できない、低価格なブラック企業も増えている。
それは大企業が世界で戦えない事情の表れでもあるように感じる。世界の情勢が貿易摩擦や世界物流の激変で、巨大な無国籍、多国籍企業に独占や寡占化され、「Made in JAPAN」が通用しない。従来のままの同じ手法で大手企業が地方や小さな自治体をもマーケットに直取引で利益率を上げている。だから対抗して顧客自身が卸や個店を通さず、インターネットでより大きな市場から直接購入するようなスタイルが加速しているのではないだろうか。こうなると地元に存在する企業の意味は何だろう。
現代はFAGAと呼ばれる神話の四騎士に模した話がある。facebook、Apple、Google、Amazonの4大企業が事実上世界を席巻していることから話題になっているということだ。すでにアメリカのGEやIBMも過去のものとなっているという訳だ。
こうした無国籍企業、多国籍企業と言われる大企業と、それえでは弱体化し行き絶え絶えのように見える、弊社のような地域にこだわり、地域貢献を企業理念としている零細・中小企業との違いは何だろうか? この夏休みはそんなローカル・カンパニーの考え方をちょっと連載できればと思っている。それが夏休みの楽しみか。最近、ブログを手抜きしてきた罪滅ぼしになんとか書き上げられれば。