Ability Society(能力社会)へ

従来の固定化された「身分社会・ステータスソシエティ(Status Society)」に対してこれからは実際に「何ができるか?」という「能力社会・アビリティソシエティ(Ability Society)」の時代だと聞かされてきた。確かに日本は明治までの厳しい身分制度からは解放されたが、中国、韓国に似て科挙の受験地獄以来、「18歳の春」で人生が決まってしまうような単線型社会であるところがあって、一度弁護士や医者になると身分が安定、あるいはいい大学を出て大企業や官僚になれば地位が守られるという面では緩やかな「身分社会」といえるだろう。

それが教員や医者が勉強もせず週刊誌程度しか読まないようでは現実的にはついていけないばかりか役に立たない「実力社会」になりつつある。「仕事」をまじめに考えれば日々の能力向上は避けては通れない「能力社会・アビリティソシエティ(Ability Society)」の時代の到来なのだろう。だから今度弊社で取り組んでいるコンピュータサービスでの資格試験、テスティングセンターも時代の先端を行っている感じで、開設と同時に意外と受験者がいて驚いているところだ。いつまでもいい大学卒、いい会社に入ったとか、課長だ、部長だとその地位に甘んじていられない時代なのだろう。会社でも内部資格や試験に追われることも増えている。

 

資格試験は一度ハマるとバージョンが上がるたびに受験しなければならない連鎖にとらわれるのはやむを得ないところだが、現代人はますます勉強しなければならない大変な社会でもありそうだ。まじめな話ではある面、大事なところで若いころの勉強の成果で身分が保証され、後から追いつくのが難しかったり、複々線で多様な経験や職種からの転職、移動が難しい身分社会が、これからのグローバリゼーションで生き残れるはずがないとはわかる。それを守ろうとすると保護主義になり、既得権益を守ろうと保守化するわけだが、少子高齢化時代になって外国人も増え、異文化とのコミュニケーションにも寛容な社会にならざるを得ないことを考えれば、「能力社会・アビリティソシエティ(Ability Society)」の時代は当然でもある。生まれ、出自、性別、人種などでなく、いまここであなたは何ができるのか、どう社会に貢献していくのかという「生き様」が問われる社会でもあるということだろう。そのために必要なことは、そうした自分の地位や身分に固執しないで多種多様な価値に柔軟になれる寛容性であるのかもしれない。

ところで少し脱線になるが、ネットで「能力社会・アビリティソシエティ(Ability Society)」を検索するとあるアニメの話題が真っ先に出てくる。未来の話だが、まだ読んでいないので確かではないが「才能Ability」がダウンロードできる社会で誰もが自分の脳にダウンロードして同じ能力が行き渡るという「平等化社会」のようなストーリーのようだ。今の若い人のアニメや小説での才能には驚かされるが、そうしたSFの世界も面白い。世の中のんびり構えいられない想像力に満ちているようだ。

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